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自信のあるなし

 うまく物ごとがすすまなかったりして、相談を受けることもしばしばあります。そんなときに、よく私が紹介する、宮本百合子の「自信のあるなし」を紹介したいと思います。

 「私たちのまわりでは、よく自信があるとか、自信がないとかいう表現がされる。そして、この頃少しものを考える若い女のひとは、何となしこの自信のなさに自分としても苦しんでいることが多いように思えるのはどういうわけだろうか。
 一つには、女の与えられる教育というものが、あらゆる意味で不徹底だという理由がある。なまじい専門程度の学校を出ているということで、現実にはかえってその女の人の心がちぢかまるということは、深刻に日本の女性の文化のありようを省みさせることなのである。
 けれども、自信というものに即してみれば、そもそも自信というものは私たちの生活の実際に、どういう関係を持っているのだろう。でも、自信がなくて、といわれる時、それはいつもある一つのことをやって必ずそれが成就すると自分に向かっていいきれない場合である。成就するといいきれないから、踏み出せない。そういうときの表現である。けれども、いったい自信というものは、そのように好結果の見とおしに対してだけいわれるはずのものだろうか。成功し得る自信というしか、人間の自信ははたしてあり得ないものだろうか。
 私はむしろ、行為の動機に対してこそ自信のある、なしはいえるのだと思う。あることに動こうとする自分の本心が、人間としてやむにやまれない力におされてのことだという自信があってこそ、結果の成功、不成功にかかわりなく、精一杯のところでやって見る勇気を持ち得るのだと思う。その上で成功すれば成功への過程への自信を、失敗すれば再び失敗しないという自信を身につけつつ、人間としての豊かさを増してゆけるのだと思う。行為の動機の誠実さに自分の心のよりどころを置くのでなくて、どうして人生の日々に新しい一歩を踏んでゆかなければ青春に自信というものがあり得よう。」

 宮本百合子は、処女作「貧しき人々の群」や長編「伸子」の作者として、また「播州平野」、「風知草」、「二つの庭」、「道標」など、戦後の民主主義文学の作者としてよく知られていますが、評論の分野でも多くの業績を残しています。

 紹介した「自信のあるなし」は、『婦女新聞』1940年5月10日に掲載されたもので、新日本出版社の『若き知性に』に収録されています。『若き知性』には、戦前戦後を通じて、おもに女性のために書いた評論、感想、伝記などから14編が選ばれています。

 この「自信のあるなし」も女性のために書かれたものとはいえ、私の胸にも深く残る文章です。戦前に書かれたものですが、今に生きる力を持っていることにも、宮本百合子のすごさを感じてしまいます。

 私も「あることに動こうとする自分の本心が、人間としてやむにやまれない力におされてのことだという」「行動の動機の誠実さ」をいつも忘れずにがんばりたいと思っています。


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